その登場は、まさに「把瑠都ショック」でした。
私がリアルタイムで見てきた中で、
ナンバーワンと言ってもいいくらい
強烈なインパクトがありました。

把瑠都が新入幕した、2006年夏場所での相撲放送。
優勝予想の中に、新入幕「把瑠都」の名前が挙げられていました。
前の場所、十両で全勝優勝してはいましたが異例ですよね。
しかしあの時、それほど驚かなかったのを覚えています。
結局終盤まで優勝争いに加わっての11勝。
物足りませんでした。それほど期待値がずば抜けていた把瑠都。
白鵬の対抗馬として、朝青龍を追いかける次の世代の誕生。
そんな印象深かった2006年夏場所。

しかし2場所後に怪我をした把瑠都、
その後も怪我が続き、大関になるのはそこから4年、
優勝までは更に2年近くかかってしまいました。


相手がセオリー通りに攻めていい形になっても、
肩越しに廻しを取られて、そして吊られる・・・。
常識では考えられないような怪力と取り口。
最近で言うと、照ノ富士や琴欧州のような感じでしょうか?

十両昇進速度は歴代3位の速さ、入幕は歴代2位。
6年で大関昇進。幕内優勝はじめ、十両での全勝優勝。
把瑠都の残した記録です。
人それぞれなのかもれないですが、
正直全然物足りなかったです。

横綱確実と思っていたのですが、
豪快な取り口によくある、下半身の怪我に泣きました。
そしてもう一つは、「優しい」と言われた性格でしょうか。
把瑠都の優しさについては白鵬も指摘していました。
白鵬は把瑠都引退時、
「本気でこられたら勝てないと思っていた」
というコメントも残しています。(八百長ではなくて)

「彗星のように現れて、彗星のように去って行った」
そんな10年にも満たない相撲人生でした。
大相撲史上最強と言われている「雷電為衛門」。
その体系は把瑠都と同じくらいだったそうです。
豪快な横綱姿を期待していました・・・。

私は見てないですが、テレビで故郷エストニアへの
帰国を発表したそうですね。
国会議員になり、最終的には大統領も目指すのだとか?
ぜひ第二の人生はトップを目指して欲しいと思います。
(エストニアの政治に関しては知識ないのですが・・・)

2006年夏場所。
新大関白鵬は、初優勝を飾りました。
40回を数える優勝の軌跡は、
この場所からスタートしたのです。

にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
クリックお願いします。